『ラストレースへの想い』 白仁 隆介

9月8日(木)〜11日(日)に全日本大学選手権大会が開催されます。熱いご声援を宜しくお願い致します。熱いご声援を宜しくお願い致します。4年生全員がレースへの想いを綴りましたので、紹介していきます。

今回の担当は、白仁 隆介(社学4・早稲田実業=東京)です。是非、ご一読ください。

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「烏兎怱怱」

初等部からの温室育ちが、体育会漕艇部の門を叩いて3年と半年。見た目はそこまで変わらなかったが、心と身体はボロボロになってしまった。今の自分を見て、入部当初の自分を見て何を思うのだろうか。

高校時代に横目で見ていた大学生。部室に張り出されていた圧倒的エルゴスコア。ピロティで何10㎏もの重りを引っ張るトレーニング。講義室で泣き声と怒声が混じりながらも行われる練習。その姿は高校生の私に憧れと畏怖の念を抱かされた。今の自分を見て、高校生の自分は、私自身に憧れと畏怖の念を抱いてくれるだろうか。自身に問うても、答えはでない。

ブログを書くに当たり、思い返すと、いつも何か漠然としたものに追われていた。自分の中に焦りもあった。怪我からの復帰然り、ローイングマシンのタイム然り、学業然り。挙げればきりがないであろう。長期休暇も心から休めた記憶がない。遊んでいるとどこか不安になり、練習をする。その繰り返しだ。10日間の長期休暇のうち8日も練習している時さえあった。日々得体の知れないプレッシャーと生活していた。それが「自分自身への期待」だと気づいたのはここ最近だった。その期待に応えようともがき続けた日々だった。「もう少し余裕を持てればなぁ」、と今更思う。

私は計12ヶ月ボートを漕いでない時期がある。4年間のうち、1年分漕いでいない計算になる。人より1年短いはずなのに時の流れの感覚は周りと変わらない。2020年、緊急事態宣言が明け、寮に活気が戻る中私は一人ベッドの上にいた。3月ごろに痛めた腰痛が、椎間板ヘルニアだとわかったからだ。朝練後の同期に部屋のカーテン越しに「起きてる?」と声をかけられる毎日。「起きてるよ!」とカーテンを開け、鬱陶しそうに返事をする。だが、返事をするために起き上がることですら、当時は痛みを感じた。できる事と言えばストレッチくらいで、活気ある周りを横目に、トレルの人がいない時間を選んでストレッチをする日々。いつ復帰できるのかわからない、ゴールが見えない辛さを知った。 

2022年、ゴールが無くなる辛さを知った。私が4年間をささげ、成し遂げたかった事は果たせなかった。果たす機会さえ、掴むことが出来なかった。私は無力だった。目的を失った私は生きる肉塊と化した。寮から離れ、寝れない日々を過ごした。代わりの目標など見つかるはずもなく3カ月の月日を過ごしてしまった。結局私は漕艇部を辞める決断が出来なかった。辞める勇気がなかったのだ。時間が空いても、受け入れてくれる同期の優しさに甘えてしまった。

 気が付くと中学からの友は壊れてしまっていた。部屋で奇声を発するようになり、激務で押しつぶされていた。一緒に入ろうと誘った事に、どうしようもない後悔が押し寄せる。後悔している自分自身にも悔しさが溢れる。変えられない過去を作り出した業を私はこれから背負って生きる。友がいたから部活に残れた。友がいたから頑張れた。

 寮で本気で叱ってくれる友が出来た。怪我のリハビリメニューを考えて貰った。あの時の安心感は何事にも代えがたい。大学生活の要所要所では私の事を叱ってくれた。私は変われただろうか。5月15日の〇高屋でのことが頭から離れない。今私がボートを漕げるのは友のおかげだ。 

蒸発している間に連絡をくれた同期。一部には電話等で手間をかけた。忙しい中でも連絡をくれたり、色々と気にかけてくれてありがとう。そして、こんな私を受け入れてくれてありがとう。

長々と駄文を垂れ流すブログとなった。他とは違う「傾いた」ブログとなっているのではないだろうか。

艇庫生活はまさしく「烏兎怱怱」な日々だ。そんな生活もあと少しで終わる。私が今乗っているOX盾クルーは全員が後輩だ。せめて最後は「この先輩と同じクルーでよかった」そう言ってもらえるよう盛大に「傾奇者」として終わりたい。

「人としての意地でござる!」

OB,OG,保護者の皆様方には最後までご支援を賜れれば幸甚です。

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